「一事が万事」という諺があります。「一つの出来事から他の全てを推し量る」ことであり、対象が人であれば、「その人の一つの行いから全体像が見える」という意味で使われます。どちらかというとマイナスのイメージがありますので普段はあまり使いませんが、職業に関して言えば、この言葉の重みが増すように思います。先月、最高裁判所が示した判決は、まさにこの諺を象徴するものであったと言えます。
京都の市バス運転手が、運賃1,000円を着服したという理由で懲戒免職となり、1,200万円を超える退職金も支給されないという処分を受けました。この運転手は勤続29年で表彰歴もあり、着服は一度だけで弁償もしたそうです。そうした経緯から処分が重すぎるとして裁判所の判断を仰いだところ、下級審は「処分は酷に過ぎるものであり、社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権の範囲を逸脱したものとして違法である」として運転手に軍配をあげました。ところが、最高裁判所はそれを覆して「原審の判断には、管理者の裁量権に関する法令の解釈適用を誤った違法がある」として管理者、つまり京都市交通局の処分を適法と認めたのです。
判決文を読んでいただければわかるとおり、最高裁判所が重く見たのは、「金額が1,000円だから」ではなく、「公務に対する信頼を損なった」という点でした。路線バスは公営・民営のいずれも通常はワンマンで運行されています。つまり、運転手が一人で乗務して運賃も直接収受する立場にありますから、とりわけ公営の場合は運賃の着服は公金の着服となって、市民の信頼を大きく損なうことになります。ましてや「僅かな金額なので…」ということで軽い処分で済ませたりすれば、再犯の余地を残すという意味でも組織の規律は音を立てて崩れます。
だからこそ「一事が万事」なのです。一つの行為が、その人のすべてを映し出す鏡となることを改めて確認しておかなければなりません。信用の足し算と信頼の掛け算が組織や社会を支えているとすれば、たった一度の気の緩みが、足し合わせてきた信用をゼロにし、積み重ねてきた信頼にゼロが乗じられて水泡に帰すのです。京都の市バス運転手を他山の石として、私たち、とりわけ職業専門家といわれる立場にある者は、この判決に真摯に耳を傾けなければならないと思います。