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2025.08.18|CEOコラム

官僚の無謬性について ~CEOコラム[もっと光を]vol.289

 政府は「Visit Japan」を旗印に、外国人観光客の誘致に力を注いできましたが、観光産業の振興が外貨獲得や地域経済の活性化に寄与する一方で、その副作用やリスクへの備えは十分だったのでしょうか。オーバーツーリズムといわれる観光公害はもちろん、外国人観光客の急増によって国内のコメ消費が拡大し、需給の逼迫や価格高騰を招く可能性について、事前に真剣な分析が行われた形跡はないとのことです。これは政策の設計段階における明らかな欠陥の一例と言えます。

 

 訪日外国人観光客は、日本食文化の象徴である寿司や丼物、定食など、多くの場面でコメを口にします。そのため、観光地や都市部ではコメの需要が急増し、国内市場全体に影響を及ぼしました。米価の上昇は家庭の食費や外食産業のコストを押し上げ、学校給食など公共サービスにも波及しています。本来であれば、こうした需給の変化を予測し、備蓄や輸入調整などの対策を事前に組み込むべきでした。しかし、そうした配慮は政策の優先順位から外され、結果として米価の高騰に繋がったのです。

 

 この背景には、日本の官僚組織に根強く存在する「官僚の無謬性」という意識があります。「自らの判断や政策立案に誤りはない」という前提に立つため、想定外の事態を柔軟に見直す姿勢が乏しいのです。加えて、観光客数という分かりやすい数値目標の達成を優先し、その影響が他の経済分野や国民生活に及ぶ可能性を軽視する短視眼的な発想が今回の事態を招きました。官僚の無謬性は、自らの政策を疑うことを避け、外部の指摘や現場の警告を軽んじる温床となります。その結果、短期的には華やかな成果が得られても、長期的には社会の安定と国益を損なう危険性が高まります。

 

 今回の米価高騰は、単なる需給アンバランスの問題ではなく、官僚の無謬性という組織的な思考様式がもたらす危うさを示す事例です。真に優秀な行政とは、自らの政策が誤る可能性を前提に、複眼的かつ長期的な視野で検証と修正を繰り返す営みであるはずです。私たちは、この事例をきっかけに、官僚機構の無謬性信仰と短視眼的発想が招くリスクについて再認識しなければなりません。単に数字や一時の成功を追うのではなく、国民目線から何が重要なのかを見極める政策こそが必要であることは言うまでもありません。

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