シルバーウィークにトヨタ産業技術記念館を訪ねました。そこでは、織機製造から始まったトヨタグループの歴史が、繊維機械館と自動車館に分かれて展示されています。豊田佐吉が生涯をかけて改良を重ねた織機から、長男の豊田喜一郎が挑戦した自動車まで、その技術の歩みを実物の機械とともにたどることができます。特に印象に残ったのは、織機で成功した会社が、なぜ自動車という全く異なる事業に進んだのかということでした。
豊田佐吉が発明した自動織機によって、豊田自動織機製作所は織機メーカーとして大きく成長しました。その事業を受け継いだ喜一郎は、1930年代、自動車の開発製造に着手します。自動車事業への進出には社内外から強い反対もありましたが、1933年に自動車部を設置し、1937年には分社化してトヨタ自動車工業を設立しました。すでに成功している事業があるにもかかわらず、その成功にとどまることなく、新たな事業に踏み出したのです。そこには、いま成功している事業が、そのまま将来の成長を保証するわけではないという一種の危機感があったのだと思います。
自動車事業初の量産乗用車の名前は「トヨダAA」で、創業家の姓である「豊田」が使われていました。その「トヨダ」は1936年に「トヨタ」へ変更されます。新しい名称を選ぶにあたっては、「トヨタ」の方が発音しやすいことに加え、カタカナで八画となり、末広がりで縁起がよいとされたことも理由だったそうです。しかし、それ以上に興味深いのは、創業者の姓から離れた名前を選んだことです。「豊田」から「トヨタ」へと変えることで、創業者個人の会社から、社会的な企業へ発展していく意味が込められていました。「豊田」が創業者の名前であるのに対し、「トヨタ」は企業の名前です。成功した創業家の名前にとどまらず、創業者個人を超えて続いていく企業へと、自らを定義し直したと見ることができます。
そして1989年、トヨタは「レクサス」という新しいブランドを立ち上げました。トヨタはすでに世界市場で確立したブランドを持っていましたが、プレミアム市場に向けて、トヨタとは異なる商品、販売、サービス、顧客体験を一つのブランドとして構築しようとしたのです。織機から自動車へ、「豊田」から「トヨタ」へ、そして「トヨタ」から「レクサス」へ。表面的には、事業や名前やブランドを進化させただけのように見えます。しかし、その本質は、成功した自分たちを、そのまま次の自分たちにしなかったことにあるのではないでしょうか。企業にとって、成功はゴールではありません。ゴールにたどり着いたとき、そこを新たな出発点とすることができるかどうか。そこに、企業の未来がかかっているのだと思います。