食料品の消費税率を2年間に限って1%へ引き下げる方針が示されました。物価高対策として歓迎する声がある一方で、社会保障財源をどのように確保するのかという最も重要な議論は、なお十分とは言えません。減税という言葉は耳に心地よく響きます。しかし、本当に問われるべきなのは税率そのものではありません。その負担を最終的に誰が引き受けるのかという点こそ、私たちが考えなければならない問題ではないでしょうか。
消費税は平成元(1989)年の導入以来、年金、医療、介護を支える基幹税として定着してきました。その税収を減らしながら社会保障給付を維持するのであれば、不足分は他の税財源で補うか、歳出を見直すか、それでもなお不足すれば国債発行など将来世代への負担に頼らざるを得ません。財源の裏付けを明確に示さないまま減税だけを進めれば、その負担は未来へ先送りされる可能性が高まります。消費税減税を巡る議論の本質は、税率の高低ではなく、受益と負担をどの世代で分かち合うのかという世代間の公平の問題なのです。
未来への安心なくして、少子化に歯止めをかけることはできません。子どもを産み育てるという決断は、目先の給付や支援だけでできるものではなく、「この子に、自分たち以上の負担を背負わせることはない」という将来への信頼があって初めて支えられるものです。社会保障給付費は増え続け、政府債務も積み上がっています。そのうえ財源を示さない減税によって負担を将来へ回すのであれば、若い世代の不安は深まるばかりでしょう。少子化対策とは、子どもが生まれた後の支援を充実させることだけではありません。未来世代に過度な負担を残さないという責任を、今の世代が引き受けることでもあるはずです。
請求書とは、本来、その恩恵を受けた人が支払うものです。しかし現実には、その負担がまだ生まれてもいない子どもたちへ回されようとしています。「子どもは社会の宝」と語るのであれば、その子どもたちに請求書を残すことは許されません。消費税を巡る議論は、単なる税制の問題ではなく、この国が未来の世代にどのような責任を果たすのかという倫理の問題です。未来の子どもたちに残すべきものは、決して請求書ではありません。安心して未来を築くことのできる社会のはずです。