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2026.02.09|CEOコラム

緊張感を失った政治の行方 ~CEOコラム[もっと光を]vol.314

 昨日投開票が行われた第51回衆議院選挙は、与党圧勝・野党惨敗という結果になりました。この結果を受けて、安定した政権運営への期待や、民意の明確な表明といった評価も聞かれますが、その反射効果として野党が大きく後退し、国会における緊張関係が著しく弱まった点は、より真摯に受け止める必要があるでしょう。民主主義において重要なのは勝敗そのもの以上に、その勝敗によって「誰の声が政治から消えるのか」という点です。

 

 与党が圧倒的多数を占め、野党が有効な対抗軸を示せなくなると、政治の場から緊張感が急速に失われます。法案は成立することが前提となり、議論は通過儀礼に堕し、修正や再考を迫る力を失います。反対意見が排除・封殺されることはないにせよ、「どうせ通らない」という諦観が広がれば、反対意見は政治的意味を失います。その結果、牽制機能は形骸化し、実質的には無効化されてしまうのです。

 

 この緊張感の弛緩が孕む危険性は、それが権力の集中を招きやすいという点にあります。独裁は、強権的な指導者や露骨な弾圧から始まるとは限りません。対抗勢力が弱体化し、批判的な声が政治を動かさなくなったとき、政策決定は限られた内部で完結するようになります。日本では、とりわけ反対意見よりも政治に対する無関心が蔓延する傾向が強く、結果として忖度や、異論が声を失う沈黙が、広く静かに浸透していきます。

 

 今回の選挙結果は、政治に必要な緊張関係が弛緩することによって意思決定がいかに修正されにくくなるかを暗示しているとも言えます。独裁とは、ある日突然宣言される体制ではなく、異論が政治的な意味を失い、問い直しが行われなくなった結果として立ち現れる状態です。民主主義を保つために問われているのは、勝者が支持されたかどうかではなく、敗者の声がなお政治を動かし得る余地が残されているかどうかです。その余地が失われたとき、私たちは安定と引き換えに、政治を誤りから引き戻す手段を静かに手放すことになるのです。

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