「選任されてから国民の信を得ていないため、解散して総選挙を行う」。現職の首相がこのように語るのを聞き、強い既視感と同時に拭いがたい違和感を覚えます。違和感の正体は単純です。日本は首相を直接選ぶ国ではなく、議院内閣制を採る国だからです。国民の代表である国会が首相を選んでいる以上、その時点で首相はすでに国民に選ばれた存在だと言わなければなりません。それを否定する発言は、日本の統治制度そのものを否定しかねないものです。
議院内閣制の下では、内閣は国会に対して責任を負い、信任を失えば倒れます。これが憲法に基づく統治機構の基本構造です。それにもかかわらず、首相就任後にあらためて「国民の信を問う」必要があるかのような説明がなされるのは、制度的には不可解と言わざるを得ません。仮に首相が国民の信任を得ていないというのであれば、それは国会による指名そのものが国民の意思を反映していないという主張に等しく、結果として国会の正統性を軽視する議論になってしまいます。
もっとも、首相が幅広い国民的支持を背景に政策を進めたいと考えること自体を否定するものではありません。選挙によって民意を確認し、政治的正統性を高めたいという発想は理解できます。しかし、それを「国民の信を得ていないから解散する」という制度的説明にすり替えるのであれば話は別です。「国民の信を問う」という言葉は、党内事情や支持率の低迷といった政治的都合を包み込む装置として機能してしまいます。そこに、本来の解散に求められるべき政策的必然性や国会と内閣の間にあるはずの制度的緊張関係は見えてきません。
そもそも、総選挙は首相個人の存在を追認するための儀式ではありません。国会の構成と政策の方向性を、国民が間接的に選び直す制度です。今回の解散総選挙が「国民の信を得ていない首相だから」という理由で語られるのであれば、それは制度を踏まえた説明とは到底言えません。制度を理解していないのか、理解した上で無視しているのか。いずれにしても、そこに大義は見当たりません。こうした言葉の軽さが積み重なれば、選挙は政策ではなく人物の人気を測る道具へと変質し、日本の民主主義は劣化の一途を辿ることを危惧します。