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2026.02.02|CEOコラム

「賢い無能」を生むエリート養成の限界 ~CEOコラム[もっと光を]vol.313

 東京大学医学部附属病院で相次いで報じられた不祥事と、それに伴う病院長の辞任は、日本社会が長く信じてきた「学力エリート神話」が大きく揺らぐ出来事でした。東大理三、東大医学部と聞けば、多くの人が「日本で最も優秀な人材が集まる場所」と無条件に信頼してきたはずです。しかし、研究不正やガバナンス不全などと指摘された一連の問題は、知的水準の高さと、社会的に信頼される行動とが必ずしも一致しないという不都合な真実を図らずも可視化したと言えるでしょう。

 

 学力エリートの強みは、「答えのある難問」を解く能力にあります。入学試験や国家試験では、必ず正解が用意され、解答の優劣が明確に評価されます。一方で、大学病院の運営や医療現場でのリーダーシップ、研究資金や人事を巡る調整といった実務の世界には、明確な正解は存在しません。利害は錯綜し、判断の妥当性は結果によって後から評価され、失敗すれば責任が問われます。それにもかかわらず、日本社会は長らく「答えのある難問」を解けるかどうかという単一の尺度で人材を選抜し、その延長線上に社会を動かす役割を配置してきました。

 

 大学病院の教授職は、もはや純粋な研究者のポストではありません。研究費の配分を巡る意思決定、医局人事の調整、企業や行政との関係構築など、極めて実務的で、ときに政治的な判断が日常的に求められます。しかし、その役割に就く人々の多くは、「答えのある難問」で成功体験を積み重ねてきた学力エリートです。答えのない状況で迷い、決断し、その結果に対する責任を引き受ける訓練を体系的に受けてきたとは言い難いのが実情でしょう。その結果として、頭は良いが現実対応力に乏しい「賢い無能」が組織の中枢に生まれてしまう構造があります。

 

 今回の出来事が示しているのは、特定の個人の倫理観や資質を批判することではありません。学力さえ高ければ、社会を担う存在として相応しいという思い込みそのものが、すでに限界に達しているという事実です。社会が本当に必要としているのは、「答えのある難問」を誰よりも速く解く人材ではなく、「答えのない難問」から逃げることなく、的確な判断を下し、その結果に責任を負える人材ではないでしょうか。東大医学部附属病院で起きた不祥事は、そうした人材を育てきれなかった日本のエリート養成の歪みを象徴的に映し出しているように思います。

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