財務省の財政制度等審議会が、2040年までに大学を約250校削減する必要があるとの試算を示しました。少子化を前提にすれば、むしろ遅すぎた議論と言うべきでしょう。18歳人口はピーク時の半分近くまで減少したにもかかわらず、大学数は増え続けてきました。本来なら市場原理の中で自然淘汰されるはずでしたが、私学助成や地方維持政策によって、多くの大学が延命され、あるいは新設すらされてきました。今春開学した新設大学の中には、開学時点で大幅な定員割れに陥った例すらあります( https://www.ta-u.ac.jp/ )。
需要が縮小する中で供給だけを維持すれば、質の低下が起きることは自明の理です。上記の新設大学以外にも定員割れ大学は珍しくなくなり、一部では大学教育というより「高校の補習」に近い授業すら行われているようです。もちろん、学ぶ機会そのものを否定するものではありませんが、大学という名称を維持することと、高等教育としての価値を維持することは別問題です。社会全体が人手不足に直面する中、本当に必要なのは、形だけの大学進学率ではなく、実社会で機能する人材育成でしょう。
その意味で、これからの大学には「何を教えるか」以上に、「何を担う人材を育てるのか」が求められるはずです。医学部が医師養成を使命として存在しているように、本来、高等教育とは社会機能と直結しているべきものです。ところが日本の大学は、学部名こそ多様でありながら、実態としては「一般教養+就職準備」に収斂している部分が少なくありません。もし本当に実務人材を育てるのであれば、法学部は法曹三者の養成を、経営学部会計学科は公認会計士の養成を強く意識し、社会のインフラを支える専門教育機関へ再構築していくといった方向性が再確認されるべきです。
これは単なる資格学校化を意味するものではありません。むしろ逆で、専門職を社会のインフラとして支える高度教育機関へ大学を再定義するという発想です。今後はより明確に「出口」を意識した大学こそが評価される時代になるのかもしれません。少子化によって、「誰でもとりあえず大学へ行く」時代が終わるのであれば、その先に来るのは、「何のために大学へ行くのか」が厳しく問われる時代です。大学淘汰とは、単なる学校数の減少ではなく、日本の高等教育が職業と社会機能の有機的結合に向けて回帰していく過程なのではないでしょうか。