会計とは、企業の実態を語る言葉です。数字には経営の意思と成果が映し出されます。一方、監査とは、会計が語る言葉に耳を傾け、それが真実かどうかを確かめる行為です。したがって、監査人が意見を表明しないという事態は、「会計が会社の実態を正確に語っているようには聞こえない」という明確な警告にほかなりません。ニデック株式会社が2025年3月期の有価証券報告書を本来の期限から3か月も遅れて提出し、「監査意見を表明しない」と記された監査報告書を添付したことは、企業統治の根幹を揺るがす事件です。
同社の有価証券報告書には、「社外取締役は経営や法律の分野における専門的知識と経験を生かし、客観的・中立的な立場から経営判断に関与し、業務執行を監督している」と記載されています。しかし、財務事務次官経験者や会社法の研究者、弁護士など経営監視の専門家を多数選任しながら、監査人との信頼関係を築けず、内部統制の不備を看過したとすれば、「お飾り」との批判は免れません。彼ら(女性も多数いるので、彼女ら)が与えられたミッションを果たしていれば事態はここまで深刻化することはなかったはずです。専門家とは肩書ではなく、沈黙せずに行動することであると彼ら彼女らに教えたいところです。
それはともかく、振り返って2017年の東芝事件では、原発事業の損失処理をめぐって監査法人との信頼関係が崩れ、意見不表明に至った結果、同社は上場廃止に追い込まれました。ニデックの現状は、当時の東芝と酷似しています。監査意見が表明されないということは、監査人が「会計が語る言葉の真偽を判断できない」と表明したことに等しく、経営の説明責任が機能していない証拠です。どれほど技術力や資金力、あるいは他社に敵対的な買収を仕掛ける野心を誇っても、数字に裏打ちされた信頼を欠けば、資本市場は容赦なく背を向けます。
問われているのは、経営の姿勢そのものです。なぜ会計は真実を語れず、監査はその声を聞き取れなかったのか。そして、なぜ専門家を標榜する社外取締役たちは沈黙したのか。その構造的な問題を明らかにしなければ、危機を乗り越えることはできないでしょう。取締役会が一丸となって説明責任を果たし、内部統制を立て直すことが、信頼回復の第一歩です。監査は社会の信頼を守る防波堤であり、東芝の轍を踏むのか、それとも誠実な会計と説明によって再生を果たすのか。ニデックはいま、その岐路に立っています。信頼は言葉で築かれ、沈黙で失われます。そのことを今こそ深く自覚すべきでしょう。