議員定数の削減を主張する声は、政治のスリム化や無駄の削減といった聞き心地の良い言葉を伴います。確かに、国会議員の数を減らせば人件費や諸経費は抑えられ、政治の効率も上がるように聞こえます。しかし、政治は企業のコストカットとは異なり、減らせば良いというものではありません。議員定数は単なる数の多寡ではなく、主権者の声を政治に反映させるための仕組みの一つだからです。
議員を主権者たる国民の代表とすれば、その数を減らすことは国民の声が削られることを意味します。人口あたりの議員数を国際的に比較すれば、日本はすでに主要国の中でも下位に位置しています。例えば、人口1,000万人あたりの下院議員数は、英国で約9人、フランスで約10人、日本ではわずか4人程度しかいません。つまり、国民一人ひとりが議員を通じて政治に関与できる度合いは、他国よりもはるかに低いのです。
こうした現状でさらに定数を削減すれば、地方や少数派の意見は届かなくなり、政治の多様性が損なわれることは明白です。それにもかかわらず、議員が多すぎるといった感情的な言葉で、議員定数の削減を主張する政党があります。彼らの狙いは、民意を単純化し、仮想敵を設けることで一時的な支持を集めることにあります。しかし、こうした浅慮なポピュリズムは、制度そのものを蝕みます。少数の議員に権力が集中し、逆に官僚機構や政党本部の影響力が強まり、もはや「国民の代表」ではなく「組織の代表」になりかねないのです。
その意味で、議員定数の削減は民主主義の根幹を揺るがしかねません。主権者の声を減らし、政治への参加の道を狭めることは、自由と多様性の否定に繋がります。それよりも必要なのは「議員の質」を高め、「政治への信頼」を回復する努力です。民主主義を守るには手間とコストを惜しまないことです。議員定数削減に先だって、政治とカネの問題を解決して議員の襟を正すことこそが優先されるべきでしょう。主権者の代表としての議員のあるべき姿を、私たちはもう一度見つめ直す必要がありそうです。